クリニック通信
2012年1月14日お母さんの背中
こんばんは。今年の冬は一段と寒く、年末から気温が10度を超える日が少ないですね。
今回も私が子供の頃の喘息のお話しです。東京の古いアパートに住んでいた3歳から6歳頃までが最も症状が重く、幼稚園も休んでばかりで、何故かイベントがある時に限って朝から発作を起こし、泣きながら我慢をした事を覚えています。大きな発作の時は母は私を負ぶって電車で1時間近くかけて国立病院の小児科を受診しました。喘ぎながら3時間近く診察を待ち、吸入では治まらないため注射をされるのですが、当時の薬は副作用も強く、注射の直後に頭がカッと熱くなり、心臓がドキドキして何度も吐きました。それでも改善しない時は点滴をされますが、今と違って金属製の針が刺さったままになるため、ちょっと動くとすぐに血管を破って漏れてしまいます。母は看病で夜は一睡もしていませんでしたが、点滴中に私が動かないように片時も離れずに絵本を読んでくれました。ようやく発作が治まって帰る時は、待合室で三角パックのコーヒー牛乳を飲み、駅前の小さなレストランでハンバーグランチを食べて帰りました。発作は辛かったけ
れどそれが楽しみでした。6歳で同愛記念病院を受診し1ヶ月以上入院するまでは殆ど毎週のように病院と家を往復していました。入院中に父が2時間の通勤ラッシュを覚悟で埼玉への転地療養を決め、その後は年齢を重ねる毎に発作を起こす事は少なくなり、中学に入るまでには薬も止められ、誰よりも早く走れるようになりました。
小児喘息の辛さは本人だけではなく看病する親御さんにも相当なものがあります。しかし、多くは寛解し治療を終わらせる事が出来るようになります。辛かった記憶は時と共に次第に薄れていきます。そして、一生懸命に看病してくれた親への思いや感謝は決して忘れる事はありません。私は母の背中とコーヒー牛乳の味は今も鮮明に覚えています。