クリニック通信
2018年2月11日ヒーロー、西へ
こんにちは。曇りだけど寒さは少し遠のきましたね。健兎は無心にペレットを食べています。
先月末は月火とお休みしてしまい申し訳ありませんでした。実は、両親を連れて和歌山に行っていたのです。
母は俳句が趣味で、句集を作ったり、時々新聞に投稿をしています。その1つが和歌山の俳句結社「星雲」の選に入り、表彰式と祝賀パーティに呼ばれることになりました。ただ、高齢者2人にはあまりに遠い場所です。同行を求められました。表彰式は月曜日。最初はインフルエンザ真っ盛りの時期に休診など有り得ないと断っていたのですが、2人とも80台半ば、親子で最後の長旅になるかもしれません。行くことにしました。
日曜の診療は何とか14時10分に終わり、14時半発の電車にぎりぎり間に合いました。駅に着くと寒冷重武装で雪だるまになった母と、樹氷のように頭を真っ白にした細長い父が待っていました。
車内の会話は弾みません。親子とも活舌の悪い小さなぼそぼそ声です。診療に使っているインカムマイクは流石に恥ずかしく持ってきませんでした。お互いに話しが聞き取れず、怪しい密談のように顔を突き合わせて「えっ?えっ?」と聞き返すばかりです。
母は足が悪くてエスカレーターも使えないため、乗り換える度にエレベーターを探さなくてはなりません。ICカード専用の改札では何処に切符を入れたら良いのか迷っています。その間にせっかちな父が迷いなく別なホームに突き進もうとするのを大声で引き留めなければなりません。旅行会社の添乗員の気苦労が良く分かりました。昔より向上したとは言え、老人にはまだまだハードルの高い東京駅。母は雑踏でヨロヨロしています。スマホに夢中な人にぶつかって転倒したら、年齢的には高確率で大腿骨頚部骨折、寝たきりから認知症になるかもしれないと、余計な想像をしてしまいます。予想以上に時間がかかって駅弁を買う余裕もなく新幹線に乗り込み、ホテルに辿り着いたのは21時。夜は父の鼾と時々止まる呼吸に、このまま止まったらどうしようと気になって眠れませんでした(無呼吸検査は問題なかったそうです)。
母の俳句は句会報に載るそうで、他にもう20句、挨拶文と一緒に提出しなければなりません。その原稿を父が無くした?とかで喧嘩を始めました。母は果てしなく文句を言いまくり、父はむっつり押し黙って、時々ぼそぼそっと言い返します。私と同じリアクション。親子はこんなところまで似てしまうものです。
表彰式に母は、私の結婚式にも着ていたと言う、あまりにも歴史ある服を着て臨みました。折角だから新調すれば良かったのに。そう言えばマンションの一室は、もう絶対着ない服や謎の段ボールでいっぱいです。クリニックの院長室も、もう絶対読まない本や謎の段ボールが積まれています。父は完全に普段着。表彰式は母はちょっと嬉しそうで、父はかなり恥ずかしそうでした。夜のパーティは母のみ参加し、私は父と久しぶりに2人だけでお酒を飲みました。父はいつもより饒舌でしたが、それでも周りから見れば同じ顔をした中高年2人が何やらぼそぼそと陰気に話し、さぞ怪しげに見えたことでしょう。寒波が押し寄せ、海風が強かったため観光は殆ど出来ませんでしたが、2人ともちょっと満足そうでした。
両親が越してきて3年過ぎました(2015年6月ブログ「じじばばが来た!」参照)。周りに同世代の知り合いはなく、運転免許は返納したので外出の機会も乏しく、進むばかりの体の不調。ストレスを溜め易くなったためか、最近は夫婦喧嘩をするようになりました。子としては親の仲違いを見るのは辛いものです。正直、母の愚痴を聞くのが鬱陶しくなって、忙しさを理由に少し遠ざかっていました。でも、何だかんだ言いながら旅行中に父は母の荷物を持ち、母は眠っている父に毛布を掛けていました。大丈夫だね。少し安心。
齢を重ねた二人、いつの間にか心も体も弱くなっていたことを、この旅で改めて感じました。しかし、生を与えてくれ、重い喘息の自分をここまで育ててくれた父と母は、私にとって今も間違いなくヒーローです。次は何処に行こうかね?父さん、母さん。
左から若い頃の母と赤ちゃんの私、父、そして私